ナッツの物語 その2
お読みいただきまして有難うございます!
今回は楽器の話をします。
新入生は入部すると、余程いい楽器を既に持っていない限り、
ほどなく新たに購入していた。
NZ、UJ両君は、アメ民創始者SYさんが店長をしていた梅田の
阪急三番街のナカにある某楽器店を先輩に紹介されて、人気が
出だしていた「ジャンボ」(※)のものを二人とも買った。
(写真:ジャンボの当時のカタログ)
この時代、国産のフォーク・ギターといえば、楽器店には、
それらの次位に、カスガ、ハミングバード(東海楽器)、
全音等といった感じだったかなぁ~。
そんな中、最もマーティンに似たタイプとして鳴り物入りで
登場したジャンボには私も興味がたいへんそそられた。
しばらくして、それまで主にクラシック・ギターを製作していた
S矢入が参入してきた。弟さんブランドのK矢入はまだ少し後に
奇抜で個性的なデザインで登場することになる。
まだまだ先である。
サウスポーのギタリストNZはリーズナブルなJ-25の左利き用を
予約し、しばらく入荷を待った…のだったかな。
ケースはみんな(私も含めて)が持っていたスタイリッシュな
ヤマハ製を選んでいた。
彼は、カントリー・ジェントルメン(以下カンジェン)のチャーリー
・ウォーラーばりのしっかりしたステディなストロークをものに
すべく、日夜の麻雀の合間に練習にはげんでいた…ように思う…。
国産のフラット・マンドリン(以下フラマン)は、まだまだ見た
目はもちろん使用に適うようなFホール・タイプが少なかったため、
UJはAタイプの最高級品、JM-50を買った。
ジョン・ダッフィのスタイルをこよなく愛する先輩の影響で、彼が
もらうタブはカンジェンの曲が多く、彼もまた毎夕飲みに行く間を
惜しまず、熱心に練習していた…はずだと思う…。
今思えば、71年、ジョン・ダッフィがカンジェンから分かれて
立ち上げたセルダム・シーンのレパートリーからよく選曲する
ようになったことを思うとちょうど良かった…みたいな…。
かく言う私も、翌72年5月11日にジャンボの一番安いフラマン
JM-18を通学途上、衝動的に2回払いの分割でSYさんのお店に
立ち寄り鼻息荒く持ち帰っている。
私のバンジョーは…と云えば、TKから譲ってもらった中古のカスガ
(春日)製。それは71年8月15日日曜日との記録があり、おそらく
借りて合宿に持って行きそのまま購入するに至ったと思われる。
この合宿並びにカスガ・バンジョーについては別の機会に…。
因みに以前書いた最初のナルダンのロング・ネック・バンジョーは
69年1月13日日曜日に買い、1回生の71年11月に幼稚園時代からの
友人ONちゃんに譲っている。
彼ONちゃんについては改めて紹介したいと考えている。残念ながら
彼は13年12月に鬼籍に入ってしまった。今、ナルダン・ロング・
ネック・バンジョーは彼の弟宅に移っている。
※ジャンボ:マーティン研究家でもあった名工、田原良平さんが
創立した田原楽器の伝説的ブランド。
私は80年前後に田原さんにお会いしたことがある。
儀礼的に簡単な挨拶だけでゆっくり言葉を交わせ
なかった、惜しいことをしたものだ。
全体的にコスト・パフォーマンスに優れていた…
という評価が多かったように思う。
以下…家捜ししたらその時代の他のカタログが出てきたので…
せっかくだし…参考までに掲載します…
ご興味おありの方は拡大してご覧下さい。
〔ヤマハ〕
〔モーリス〕
〔ヤマキ〕
長々と失礼しました。では…また…