ナッツの物語 その3
お読みいただいて有難うございます。
KGアメ民には、今年結成50周年を迎えるあのBluegrass 45
(以下45)のフラット・マンドリンOAさんがおられて
これまたビックリ~!
45のグループ名だけは高校時代に聞いたことがあった。
(このことについてはまた別に後日述べたい。)
当時4回生、45で渡米する直前のOAさんからは、「ブルーグラスを
したら…」とのお誘いをいただいていた。初夏、私達は「ドック・
ワトソン的なものがしたい…」と言っていたし、1回生では明確な
ブルーグラス・バンドがまだできていなかったのだ。
実際、3人で練習をし始めた曲目は、ザ・ニュー・ロスト・シティ
・ランブラーズ・ソング・ブックの中から選曲した、「More Pretty
Girls Than One」とか「Salty Dog Blues」、「Foggy Mountain Top」
辺りだった。
(写真:高校時代に購入した、当時の教科書?…)
ところが、先回書いたように…45の訪米中にTKと一緒にすることに
なって、ブルーグラスのサウンドにシフトしていたので、OAさんが
帰国された秋、「何や、(ブルーグラスを)しているやないか…」と
笑いながら言われた。
そうそう、OAさんは意外なアメ民記録を未だに保持しておられる。
今年2016年5月のOAさんご本人からのメールを引用させていただく
と…『その昔、IH(私の1年先輩のマンドリン・プレイヤーの方で
イソコがニック・ネーム)とどっちが早食い出来るかとの話に
なって、二人で業食(学内の業者食堂)へ行って親子丼だったかを
二つ注文。ヨーイドンで食べ始めたけど半分も行かない内に彼は
諦めた。1~2年してアメリカまで彼から手紙が来て、「OAさんの
1分2秒の記録はまだ破られてません。」だって!!』
…スゴイ話ですネ!
OAさんのこの武勇伝は在学中に、今聞くとちょっと恐~いドクロ
のニック・ネームで呼ばれていたが、実は優しい2年先輩3回生の
KSさんから、聞いたことはあった。
前後するが、このKSさんと私は、ドック・ワトソン・スタイルの
「49ers」のバンド名で、しばらく一緒にやらしてもらった。
京都方面の新聞社に就職されたが、その就職活動でKSさんが忙しく
なるまでの短期間、1回生の年末位までの間、ギター2本か、または
私がバンジョーだった。
さて、KG構内にある「白鳥の池」の端、当時の同窓会館のベランダ
及びその池の周りがアメ民各バンドの練習や全体ミーティングなど
主たる活動場所となっていた。
(写真:以下3枚とも ’98OB会のとき、
2年後輩のMY君のビデオより)
〔左側奥にちらっとだけ同窓会館とベランダが見える〕
〔大先輩のSTさん挨拶中…
今年11月5日OB会の幹事長でもある…〕
〔これはシング・アウト中、
こんな感じでミーティングが行われたなぁ…〕
この池の周りやよく行ってやきそば、お好み焼きを食べていた
お店「エース」でブルーグラスの諸先輩方から、UJ、NZや私達
新入生に親切な手ほどきや真面目な?ブルーグラス談義があった。
OAさんはマルチ・プレイヤー、45ではフラマンだがバンジョーも
アメ民に来られてはよく弾かれていて何度か教えていただいた。
はっきり覚えているのが…ドン・レノの「バンジョー・シグナル」、
「これ5弦押さえるから面白いやろ~」って。
ビル・エマーソンの「テーマ(シーム)・タイム」もだったかな~、
いやこれは1年先輩のバンドのレパートリーだったと思うので、それ
なら2回生のAMさんだったかも。
3弦のフレット3⇒2⇒開放と親指人差し指を交互に弾くのが当時の
私には新鮮だった。
(Tab:ちょっとバンジョータブを作ってみました…
上段はおそらく当時教えていただいた雰囲気かな…
以下2段はYouTubeでエマーソンが最近弾いていた
雰囲気かな…)
今回も少し長めになってしまいました…
では…また…